電力自由化が叫ばれて、はやくも20年を過ぎようとしています。
私が新電力と契約しなかったのは、電力などの社会インフラを支
える事業は競争になじまないと、考えていたからです。
さらに東日本大震災における東京電力福島第一原子力発電所の事
故があり、利用していた者としてはその責任の一端を担うべきだ
ということからです。
電力小売りの自由化は、大手電力会社が地域ごとに独占していた
電力業界へ新規参入を促そうと、2000年以降、段階的に実施
されました。
報道によれば、新電力会社は昨年4月時点で約700社あったよ
うですが、ウクライナ戦争により、液化天然ガスなどの価格が急
上昇し、電力販売は売れば売るほど赤字となり新電力の撤退が増
加しています。
オーストラリアでも自国の供給を優先し、輸出を停止する動きが
あるようです。
わが国のエネルギーや食糧供給は、ウクライナ戦争が終結しても
なお大きな課題として残っていくでしょう。
私は、電力やガスなどの自由化には懐疑的でしたが、資源をもた
ないわが国のような場合、有事にこのようなことが起きることは、
予想できたことです。
人間とは、常に自分を中心に物事がうまくまわるという幻想をも
っている生き物ようです。
また、うまくいっているときに、危機に対する対策が打てない生
き物でもあります。
エネルギー政策にかぎりませんが。。。
電力に限らず穀物や食肉など、多くは海外に依存しているわが国
は、相当な覚悟で国の作り変えをおこなう必要がでてきたようで
す。
改めて、国家100年の計が必要な時代なのかもわかりません。
危機とは、危険と機会と、ある本に書いてありましたが、まさに
時代の転換点にいるのでしょうか。