ソニー子会社時代のことを多く書いていますが、自由な発言
こそが「ソニー」だ、とも書きましたが、それでは誰でも自
由な発言をするかといえば、そうではありません。
人間には、そもそも自由な発言が好きな人、あるいは好きに
発言できるタイプの人がいるようです。もっとも、社会的な
動物でもある人間ですから、どうしても社会性に順応した発
言が必要になるケースが、企業内では沢山あります。自由な
発言ができる人たちでも、社会性を踏まえた発言になりやす
いものです。
私のように、あまり社会性を気にしないタイプの人間は、自
由に発言できなくなっている人をみると、つまらなく感じて
しまいます。そこで、勝手に経営職の人間へ、その人たちの
言葉を伝えます。(前向きな告げ口でしょうか)
それからは、本人が、経営職の人たちに呼ばれて意見を出す
ことになります。お前、告げ口したなぁ、と言われますが、
そんなことは気にしません。告げ口された本人も意見を言え
ることでほっとしているようでした。いわば、私は経営職と
の間に立つ触媒のような働きでしょうか。人を巻き込むこと
が好きなのです。そのうえで、ビジネスが前向きに進めば、
それでよいだけです。このようなことができたのが、ソニー
子会社だったということです。
どんなに自由に話せると思われる空間(組織)があっても、
人はそれぞれ違います。社会性を重視するタイプ、頃合いを
みて発言するタイプ、職制に対応しながら発言するタイプな
ど、あらゆるタイプの人間がいます。私のように好き勝手に
発言する人間は、ソニー子会社と言えども、それほどいなか
ったように思えます。やはり、自由な発言をする人間がいる
ことと、自由な発言を許容する人間がいることで、組織や階
層などを超えたコミュニケーションがおこなわれるのかもわ
かりません。
ソニー子会社というところは、他の企業と比較すると、自由
な発言を許容することができる経営者がいたということでし
ょう。私は、多少の触媒になった思っていますが、私が退職
してからも、この会社は急成長しましたから、本質的な意味
で経営を支えているものとはなにか、ということはよくわか
りません。
結局のところ、私は自分の人生は、自分だという考え方が強
く、その点で、当時のソニー子会社の経営者の度量におんぶ
させてもらい、多少、お役に立つ仕事をさせてもらいました。
それでも、これほど充実した会社人生はありません。すべか
らく人生とは、人との出会いと自分との向き合い方だ、と思
っています。だからこそ、何をやってもすべて面白いのでし
ょうか。
数は少ないですが、面白くて楽しいことをいっしょにやって
きた人たちとの心の交流が、今の私を支えているようでもあ
ります。人生は短いようでいて、とても面白い、が私の心境
かもわかりません。