成功者という流行
世の中というところは、成功者流行りが常でしょうか。私で
も成功したいという気持ちはありますが、それよりもなによ
りも、なにかに挑戦していたい、という気持ちのほうが強い
ように思います。
成功は結果であって、その人のすべてではありません。
私の仕事人生は、職務経歴だけをみる方は、だいたい失敗と
みていたようでした。
世の中には、どの立場からも妥協できるという物の見方があ
ります。日本における社会性と言い換えてもよいでしょうか。
同じような考え方、同じような経験、同じような学歴などな
ど沢山の同じがあるのでしょう。
同じということに違和感をもつ
私には、この同じ、ということに違和感を覚えることが多か
った人生だったように思えます。自分は自分でしかない、と。
今でもこの気持ちが変わることはありません。だからでしょ
うか、いつも私のまわりには、自由の風が吹いています。成
功かどうかよりも、いつも好奇心旺盛に、いろいろなところ
に首を突っ込んでみて、自らが対応できる範囲で人や組織、
あるいは制度を、短時間(数年の範囲でしょうか)ですが、
多くの人たちと変えていくことに、私は喜びを覚えるほうな
のです。
出来上がった成果を誰がやったかにもほとんど関心がありま
せん。多くの人たちと納得性が高い仕事ができ、企業や社会
に対して責任が持てる機能を構築できればよいだけです。そ
こに個人の成功はありませんが、企業が社会のなかで責任あ
る立場がとれるということが、しいて言えば、「成功」でし
ょうか。
人は成功を考えて生きているのでしょうか
日々の生活において成功を考えて仕事をしていることがあり
ません。なんとかお客様や社会に対して責任をもった仕事が
できるかどうかだけで生きてきたようなものです。だから、
人の成功にも興味がありません。ただただ自らの仕事に没頭
することは遊びのような感覚であり、楽しさであり、失敗を
含めて仕事や人生を楽しんでいるだけでしょうか。
多分ですが、多くの人たちも、いろいろなやり方で自分なり
の仕事のスタンスをもって生きておられるように感じます。
成功、という意識すらないのかもわかりません。
成功という定義は多様
成功という言葉は、おそらくですがメディアなどが作り上げ
ていくものではないでしょうか。やっている本人は、成功を
目指すというよりは、自分を信じて無我夢中でやっているだ
けではないか、と私は想像しています。
ベンチャー企業の経営に限らず、オーナー経営者の言葉の中
に成功するためという言葉を聞いたことがありません。おそ
らくですが、結果として成功しただけだからでしょう。
成功には、いろいろな定義があるようです。成功という言葉
にも、「同じ意味」ではなく、多様な定義が人によってなさ
れるようです。人は同じではないのですから、それでよいの
ではないでしょうか。
経営者は企業をなんとか伸ばすために生きています。一方、
従業員は、企業の中で自分の役目を懸命に果たそうとしてい
たように、私にはみえていました。
企業が大きくなって経営者が成功者といわれるのであれば、
企業のなかで働いている従業員も、まさに成功者なのではな
いでしょうか。
人には、人それぞれの成功があるようにみえているのは、私
だけでしょうか。