経営者にとって、ビジョンはすべてなのかもわからない。経営
者が導かれるはビジョンが見えるからだろう。目指すべき企業
のイメージがビジョンである。経営者を前へ前へと進めていく
のもビジョンだろう。経営者についていく社員たちの心なかに
あるものも、経営者がイメージするビジョンである。
ビジョンを持たない経営者は、目標のイメージをもたない漂流
している船だろう。ただ、社会を流れていくだけだ。
創業経営者がもつビジョンは、お金で買ったり、誰かに借りて
きたりすることができない。ビジョンは経営者一人一人の内面
から来るものである。
経営者にビジョンがないのなら、自分の内面を見るしかないだ
ろう。もし、自分のビジョンが持てない経営者がいるのなら、
共鳴できるビジョンを持った人間と組むことだ。
人間には役割がある。
創業者がビジョンをもてないのなら、ビジョンをもつ人を探せ
ばよい。
だが、往々にして創業経営者は、自分の小さな器のなかでもが
いていた。
私はビジョンがすべてではないと考えているが、ベンチャー企
業などでは、ビジョンによって人が集まる働きをするというこ
とがあるようだ。さらに、社員を団結させる力がでたり。ある
いはお金と同時に多くの資源を集める力になっていた。
ビジョンが大きければ人を引きつける力があり、ビジョンが挑
戦的であれば、人はそれを達成するために尽力していた。
ビジョンには、偉大な力があるが、一方、実現可能性があまり
にも低いビジョンであれば、むしろ企業経営に対して逆風にな
ることがあった。
いずれにしても経営とは足元をみておかなくてはならない。ビ
ジョンばかりが先行すると、ただのほら吹きになっていた。
結果は、倒産だ。
経営とは、ビジョンだけではうまくいかないことを私は体得し
た。