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中小企業

単純な競争社会からどれだけ離れていけるかという工夫と努力が求められている

私がみてきた社会だが、多くは昭和なのだが、そこからみえて
きたものは、学校も会社も競争社会だったということだ。
私は、ゲーム感覚で勉強はしてきたが、他者と競った感覚がな
い。自分と勉強(ほとんどは試験だが)との格闘ゲームだった。
学校や会社は階層社会だった。
学校における成績や、順位、会社における評価や、昇進昇格な
どに興味をもつことがなかった。

担任の先生だけが、私の成績がよくなり、順位が上がったこと
を喜んでいた。
私にとって順位など、どうでもよかった。
試験というゲームと格闘した結果だった。
ただ、それだけだ。
高校入試も大学入試も同じだ。
進学の将来性など考えたことがなかった。
ゲーム感覚で試験に向き合ってきただけで、親や教師の顔色を
みて勉強してきたことなど一度もなかった。
そのような生き方を許容してくれた亡き両親には、今でも感謝
している。

就職試験への対応方法もわからず、新聞の求人欄をみて応募し、
企業へはいった人間だ。
世の中から隔絶した生活をしていた。
友人も同様のタイプだったから、ほとんど世俗的なことに染ま
らなかった。
世の中の仕組みを知らない人間だった。
もっとも、今もわかっていない。
だから、こんな内容を毎日平気で書ける。

はじめて入社した企業では、やはり評価や昇格などになにも興
味をもたなかった。嫌だと思った営業の仕事もゲームのように
思えてきた。
営業というゲームを無我夢中でやっていただけだ。
上司もよかった。
出世など追いかけないタイプだった。
仕事が終われば、すぐに帰宅する人だった。
唯我独尊でありながら、上の人間に好かれていたし、評価も高
かった。自由人だった。
私とはタイプは違ったが、尊敬できる人だった。

ソニー子会社へ転職したが、上司は、またも営業時代と同じタ
イプの人だった。どちらも慶応大学出身で頭脳明晰だったが、
個性派だ。
私は、人間との出会いにも運があった。
このような自由気ままに生きる上司(人間)とうまく巡り会え
たからだ。もっとも、二人の上司は、定年までそれぞれの企業
で勤め上げた。立派なのもだが、私にはできない。

私は、そもそも企業のなかで腰を落ち着けてやっていくタイプ
ではない。とにかく学校も会社も、私の性格に合わないところ
だったからだろう。
転職は、その点、常に緊張と挑戦の連続であり、必要とされた
仕事を自分の力で勝負できた。
駄目で元々だ。
ゲームだから、負ければ下りればよい。
こんな簡単で自分本位な生活は、私にはピッタリだった。

会社というところは、競争だけがやたら目立つのだが、出世や
評価だけが人生ではない。
もっと自由に、他の部門と連携していく仕事だけをやれる自由
が欲しかったが、ソニー子会社ではそれができていたが、事業
が順調に成長していけば、本社からやたら人がきて階層的な社
会になっていく。
創業期の個人の自由な動きは消えていくように感じられた。
私の居場所はなくなった。
私が勝手にそう感じただけだろう。

社会とは、学校では成績、会社では仕事の評価などで階層化さ
れていく。どちらにも、もっと個人の自由な動きがあってもよ
いだろう、と私は思ってきた。
私は、学校生活では病気を理由に、よく一人でさぼったが、会
社生活でも、一人で勝手に休暇をとって遊んでいた。
とにかく、私にとって組織というところは息苦しい。

ベンチャー企業でも中小企業でも、また大手企業においても、
組織というところは閉鎖的で生きにくいものだった。
私は、この国の社会制度のなかで、うまく立ち回れなかった。
経営者は、人がうごめく組織というものを、真逆に考えなお
したほうがよいと思っている。
誰もが出世や評価ばかり望んでいるわけではない。
また、そのようなタイプの人たちは、仕事ができないわけで
はない。ただ、自分らしく仕事で貢献したいだけだ。
経営者は、尺度を変えて人を判断していく必要があるだろう。

人口が少なくなるのだ。
いろいろなタイプの人間をどのように活かしていくかを真剣
に検討することが、必ず求められてくるだろう。
このようなことが、少しでもできている中小企業に、人が集
まってくる。
賃金だけでもないのだ。
今の時代の経営者は、厳しい言い方だが、あまりにも単純だ。
昭和の時代とあまり変わらない。
だから、賃金で人を集まめるしかなくなる。

中小企業ほど、人に対する工夫が必要だろう。
また、人に対して柔軟性がある雇用ができるのも、間違いな
く、中小企業だ。人口減少社会だからこそ、中小企業にはチ
ャンスが巡ってきている。

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